書店員のすヽめ 〜本屋のひとりごと〜

本の事や書店で働いてる時に感じた独り言、妄想を延々と語っていくブログです。個人の主観なので苦情は受け付けません。

『毒親』

 

どうもかんたーです。

 

私の母親は毒親です。私が近くにいるから人一倍迷惑を被ります。わがままで浪費家。口うるさいし、そしてさみしがり屋…。

 

私の幼少期の頃の母との関係

4兄弟の末っ子の私を特別扱いはしなかった。そして私自身もあまり母の記憶がない。両親が仕事で忙しく、私はいつも祖母といたからである。

私の学生時代の母との関係

覚えているのが…ある日先生に褒められ嬉しくて母にも同じことを言ったら母は「普通だ」と心ないことを言う。こういう親だ。成績がどんなに良くても褒めてくれる親ではなかったのだ。

社会人〜現在の母との関係

昨日の親父のブログと対照的になるのだが、母も心を病んでいた事もあり、自分のことで精いっぱいだったのだろう。そして私に対する仕打ちが酷かった。正直、憎んでいた。許せないことが多かった。

でもここ数年では私自身の気持ちも強くなり社会へ復帰して行くうちに関係が改善。もちろん、それでも年に数回は被害を被っていましたけどね。だいぶ母は落ち着きました。

なぜそんな母親と一緒にいるの?

こんな疑問は誰しも持ちます。私は昨日のブログで綴ったように親父大好き人間です。親父からの連絡をもらい実家へ戻る決意をしたからです。嫌いであった母とも居なくてはなりませんが、覚悟の上でした。

なんだかんだ面倒を見る日々

散々やられてきているのに、私なりに出来ることを全てしてきたつもり。他の人にも「親を甘やかしすぎ」とも言われましたが、出来るだけ親子3人で楽しく暮らしていきたかった。その中でも時折、見られる母の笑顔が特に好きでした。それが見たくていつも楽しく親父、母、私でテレビを見ながら談笑する。これが我が家の日課だったのです。

再び、正社員

今年6月。私は現在の職場で正社員となり忙しく働くようになりました。さみしがり屋の母との時間がかなり減り、母はどんどん落ち込んでいきました。体調を以前よりも崩しやすくなっていました。それでも休みになれば通院をきっかけに外出して、お金がないなりに楽しんで、帰宅する頃にはいつも元気そうに見えました。

将来

母はどんどん物忘れが多くなり同じことを話す毎日。母は自身のことを薄々、気づいていたのもあるし、以前よりもさらに孤独感を感じていたみたいです。私はそんな母にいつも以上に声を掛けていたのだが表情は暗いままでした。

母は「こんな状態が長く続くと私に迷惑がかかる」と言う。

私は「今までも散々迷惑かけてきたじゃん。これからもどんなに迷惑かけてもいいんだよ。母自身が今、やりたいことをやればいい。どんなに酷い親でも私の母に変わりはないんだから。」と伝えた。

ヨボヨボになって私が誰かもわからず年老いても、私が母に対する気持ちは変わらない。こういう関係が先も長く続くと思った。

最後に

そんな母は亡くなりました。

私は心も身体も疲弊しきっていました。それでもそれだけ母に尽くした証なのかと思うようにしています。悔しさはありますし、最後まで本当に迷惑を掛けっぱなしの母で終わりを迎えました。

あれだけ散々やられてきたにも関わらず不思議と嫌な記憶って思い出せないんですよね。楽しい思い出ばかりで、その度に涙が溢れる。

それでも後悔はあります。

どんなにボロボロになっても母の面倒を見たかったから。それは親父に対しても同じ気持ちで一緒に過ごしています。

 

周囲も感じているのはわかります。私が一番一緒にいて一番辛いだろうというのは。

それでもなんだろう。

亡くなった日に夢に出てきた母はいつものように満面の笑みでした。ちょっとくらい私への不満を言ってもいいのに。

 

自由奔放で周りに迷惑を掛けっぱなしで…

憎くて憎くてたまらなかった。

それでも寂しそうな顔を見るたびに、すぐに許す私。

こんな関係が長く続くと思っていただけに…

こんなに別れが早く訪れるなんて今でも受け入れることが出来ないです。

私の願いはただ一つでした。

両親と私とで1日も長く談笑できる日が長く続けばと…。

それだけその時間が皆、笑顔だった。

 

ありがとう。そして…さようなら。

 

強く生きていく自信はないですが…

ちょっとだけ自分の為にわがままになろうと思います。

 

そして最後は笑顔で送り出せるようにします。

 

それではまた。